(旧真岡郵便局跡から港の方向を望む)
旧日本領土サハリン
稚内港からフェリーを使いコルサコフに渡りました。
日本に一番近い外国ロシアです。
津軽海峡とほぼ同じ距離があります。
州都ユジノサハリンスクに宿を取り7日間滞在しました。
ホテルの傍にはガガーリン公園があり
滞在期間中、幾度か散歩を楽しみました。
人口に比べると可也大きな公園です。
舗装された区域は余り無く
柔らかい土の感触を足の裏に感じて歩きました。
大人の娯楽が余り無いロシアでは
子供と一緒に家族で楽しめる公園に
国の予算が使われているようです。
公園内には規模は小さいですが子供用のゴンドラ等多数ありました。
港町コルサコフでも丘陵の上には市役所があり
其処から南北に並木道が走り
両脇には市民が利用できる御店が並んでいました。
緑に茂る並木の下を
乳母車に赤ちゃんを載せた若い綺麗なお母さん達が歩き。
笑いながら世間話を交わしている姿は
何処の国でも同じで清々しいなあと思いました。
海側の低地には工場地帯があり
丘陵の上には5階建て程のアパート群が並びます。
ニューヨーク・マンハッタンのハドソン河岸のような高さです。
コルサコフからユジノサハリンスクに返る途中
30㌔程の道のりですが、起伏の多い地形でした。
大きな坂を降り丘を登り上がった処で警察に停められました。
警察官は2人で
一人は坂を降って来る最高速度の地点でスピードガンで速度を測り
他の一人は一台於きに車を停車させます。
勿論全車がスピードオーバーです。
そして罰則金をその場で払わさせるのです。
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ナント領収証はありません。
見ていると嫌々ながらも、警察に表立って反抗する人は居ません。
運転手に聞くと『これがロシアスタイルだよ』と言いました。
マフィア大国ロシアでは警察も最大のマフィアの一つです。
罰則金が誰の懐に入るのか、興味深いところです。
ユジノサハリンスクで
一番大きな建物はサハリンエナジー社の建物です。
10階建て程で
4ha程の敷地に真新しい巨大なビルがそびえ立っていました。
映画館は数軒あり
ハリウットの最新作もロシア語吹き替えでやっていました。
入場料はロシアとしては可也高かった様に記憶しています。
多分10ドル位です。
それでも映画館は半分以上の客入りです。
デパートも数軒あるのですが
広い敷地のなかに道を走らせ
小屋のようなブースを30軒ほど造り
野外マーケットのような商業スペースがあるのが特徴です。
鉄道駅の西側には可也大きな食料品屋外市場がありました。
其の近くには衣料品の屋外市場もあります。
経営者には朝鮮半島出身者が多かったです。
(コルサコフ市役所・レーニン像があるのは中央アジアとロシアでも極東だけです)
ガガーリン公園を散策している時
75歳だと云う老紳士に会いました。
日本人だとばかり思っていたのですが
朝鮮半島出身者だと言いました。
日本語は完璧です。
彼は戦後サハリンに残り
新聞記者として生計を立て
ロシアジャーナリスト協会の正会員にまで成ったと言いました。
退職する頃「日本の援助?」で朝鮮半島出身者の
韓国への帰国支援プログラムに応募し
今は韓国で暮らし
息子達が暮すサハリンに
年に2回程里帰りするのだと言っていました。
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北朝鮮関係の仕事もあり今は悠々自適の生活のようです。
何故、戦後朝鮮人は
直ぐに帰国出来なかったのか聞いてみました。
彼が言うには朝鮮動乱が起き
その後の紛争が続くなかで、ロシア政府は
統一後(北朝鮮への統一)の朝鮮へ朝鮮人を送還する方針を持ち
今に至ってしまったと言いました。
彼にはその後ユジノサハリンスク市内で何度か邂逅し
彼も僕もお互いを少し警戒していたので
会釈以上の関係は出来ませんでした。
さて本題の真岡郵便局跡を訪ねる旅です。
ホルムスクに出発する当日の朝
ホテルの朝食レストランで日本人を見かけました。
40代のポッチャリ顔の彼女は
日本からの団体を率いて来たガイドでした。
朝の忙しい時間で誠に申訳ないとは思ったのですが
真岡郵便局の場所を聞いてみました。
以前行ったのは大分前の事で
出店が沢山出ていて分かり難い場所だったと言います。
此れから探しに行くのなら、ロシア語を教えてあげると言いました。
エスタ・スターレイ・ポチタ
(古い郵便局は何処ですか?)と云う言葉でした。
エスタは何処、スターレイは古い、ポチタは郵便局です。
但し僕の記憶に間違いが無ければですが。
笑顔の可愛い北海道弁のガイドさん有難う御座いました。
かくしてチャーターした車で
ホルムスクまで1時間のドライブをしました。
ユジノサハリンスクから海岸部のホルムスクまで
緩い峠を走り貫けるのですが
峠にかかった頃から霧が出始め雲の中を走るような感じでした。
途中、熊笹峠辺りから海岸部が覗けるように成りました。
辺りに家は無く、住宅はホルムスクの町に固まって存在しました。
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コルサコフと同じく此処も丘陵の町です。
海岸部に港湾荷上げ関係の広大な施設が展開し
フェリーターミナルが有り
舗装道が丘の上にと続いていました。
現郵便局のある丘の上で幾人かに聞いてみました。
30分ほど聞き廻って分かった事は郵便局は何度か移転しており
一つは数十年前火災で焼失したとの事でした。
その郵便局跡は丘の下にあると云います。
車で丘を降り海岸部の小さな花屋さんに聞きました。
花屋さんは傍の建物を指差しました。
上掲写真・9階建ての建物がそうです。
フェリーターミナルから北に300mの位置に有りました。
直ぐに分ります。
火災の後、此のビルが建ち一階は銀行が入っています。
前庭は200坪程ありました。
此の庭が真岡郵便局跡なのです。
此の庭から海側をみると頭掲の写真になります。
ガイドに聞くと慰霊の碑では無いと云います。
日本人から見ると意味のある真岡郵便局跡も
ロシア人には全く・・マッタク関心が無い事なのです。
ロシア軍が自らの血を流し
日本軍国主義者から奪い返した領土
それがサハリン、遙か昔の事なのです。
日本時代と云う言葉を多々聴きました。
軍事力で他国・他民族の土地を奪い取っていく事を
軍国主義と言います。
日本は全く其の通りでした。
でもロシアが1945年以後やった事も全くの軍国主義なのです。
ただ世界社会主義革命という美名で隠していただけなのです。
此の事をロシアの人達は分っていませんし
分ろうともしません。
唯、現在の経済的危機の現実だけは認識しています。
やがてロシア経済も回復する時が来るでしょう。
其の時世界に如何いう影響を与えるのか危惧するところです。
僕はロシアの事を語ると熱く成り過ぎるようです。この位で。
エスタ・スターレイ・ポチタ 如何でしたか。
日本に一番近いヨーロッパ ロシア。
もっと簡単に安価で行けるようになれば
相互理解は進むかと思うのですが。
一見の価値は有ります。
夏にパックツァーが有ると思います。
貴方も如何でしょうか。
エスタ・スターレイ・ポチタと言ってみてください。
それではまた後日
真岡郵便局を訪ねたビデオをyoutubeにupしました。御参考にして下さい。
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