2012年5月18日金曜日

第四話 ハカセのハナシ


第四話 ハカセのハナシ

第三話  ハカセのハナシ


 本に埋もれリビングで、俺はこの部屋の主のことを考えていた。

 ハカセこと、新条藤二との初めての出会いはこれまた実に中学時代にまで遡る。

 今では底抜けに明るくどうにも馬鹿っぽく見えるのだが、これはあいつがキャラ作りをしているだけで、その本来の性質は刃物のように鋭利的。無邪気そうな笑顔に見えても、その瞳に映るどこか白濁とした瞳には、それを感じさせる何かがある。昔も今も……いや、それこそ今のほうが、よりそれを感じさせるのだ。

あいつが初めて俺に言った言葉が、「何ジロジロ見てるんだ、あ?」である。

俺はただ、クラスでも断トツトップの成績を残した優等生って奴がどんな奴のか知りたかっただけなのに、さすがにそこまで言われるとは思わなかった。

当時のハカセは銀縁眼鏡をした、一見すればどこにでもいる模範的な学生。天然パーマでもなかったし、猫背でもなかった。

優等生の中の優等生。それが彼だ。

「何ジロジロ見てるんだよ、ハゲ」

この口の悪さを除いて、だが。

 当時の俺は部活動の先輩の悪戯というか何というか、そういう類の理由で五厘刈りにされていた。もちろんバリカンで。

 男子中学生の何割が五厘刈りで構成されているのかそんなことは知らないが、別に珍しくもなかったはず。

「ハゲじゃねぇっての。ハゲは校長先生のことを言うんだよ、ガリ勉が」

 もちろん俺は怒ったさ。中学生はいつも何かに怒っている。思春期ってやつだ。他に理由を挙げるとしたら小学校で仲の良かった友だちが皆して他のクラスだったり、そのくせ何故かメダカとは同じクラスだったし、まぁ、色々だ。

「おい喧嘩売ってんのか、ハゲ?」

 こいつに至ってはカルシウム不足し過ぎな感じだったが。

「ハゲじゃねぇよ五厘刈りだっつってんだろうガリ眼鏡」

 よくよく考えたらガリ勉て悪口じゃないことに気づいて必死に誤魔化そうとした結果の失態。

「はっ?」

 素で意味不明だったらしい。ごめんなさい。

「ガリ勉、ガリ勉、ガリ勉、ガリ勉」

まるで念仏でも唱えるかのよう。どこぞの宗教団体見たいで気持ち悪いぞ、俺。

「誰がガリ勉だ……表出ろやハゲ」

「上等だガリ勉ッ!」

 それこそ幼稚園児レベルの喧嘩で俺たちは拳を交え、その結果どこぞの少年漫画みたいに男の友情を築き上げたわけでもなく、出会う前からできていた溝はただ余計に深まっただけだった。

ていうか、俺が一方的に殴られていた気がする。よく覚えていないのは、きっとそれが理由だろう。

 そんな俺たちが友だち意識を持ったのは、はて、いつのことだっただろうか?

 

 

「なぁ、ハカセ?」

「んん、何〜よ?」

「俺とお前ってさ、いつからこんなに仲良くなったんだっけ?」

「こんなにって、どんなにだよ?」

「お前の家で三人仲良く一つの皿に盛った飯食う程度の関係よ」

「さー」

「あっそうかい」

 ハカセのほうも覚えていないらしい。というより今のは俺の言い方がまずかっただけだ。

 野沢菜の一件のとばっちりで住む家も仕事も失ってしまった俺を、親友は快く迎え入れてくれた。

 一人で住むには広すぎるマンションの一室に暮らしているのだから、一人くらい増えても困ることはない、とは彼の意見。

 一人くらい、増えても。

 俺を含めて、この部屋にいるのは三人。

そいつがハカセと同棲している彼女だったら、空気を読む俺ははっきり断ったのだが、事情はもっと複雑。とりあえず、ここには三人の野郎が衣食住を共にしていることは事実だった。同棲相手は、どう見ても子ども。野沢菜よりは背の低い奴だったが、あの成長過程を誤っているのを基準にするのは間違っている。多分、中学生くらい。

 彼はヨシュア……と呼ばれている。もちろん偽名……というかニックネームだろう。そんな名前のどう見ても生まれも育ちも日本人な奴を俺は聞いたことがない。どう考えても太郎とか次郎とかのほうがしっくりする、子犬のような顔立ち。性格もこれまた底抜けに明るく、とにかく年中笑っていそうな奴だ。

「今日は〜、じゃじゃん。なんとびっくりスパゲッティのミートソースです〜」

「やったね、ミートソースッ!」

「よかったね、ミートソース……」

立ち上がって喜ぶヨシュアに対し、フローリングに寝そべって意気消沈する俺。何せ昨日もパスタを食べたばっかりだ。そりゃ手作りなのだからまずいわけないのだが、飽きた。(無職な居候はそんなことを口にしてはいけない)

「挽肉と玉ねぎを炒めて〜、缶詰トマトを入れて〜、煮て〜、煮て〜、ケチャップとソースであら不思議〜のミートソース〜」

 ハカセは刻んだパセリを振りかける。

ヨシュアはあの緑が嫌いなのか、露骨に嫌そうな顔をしていた。

「学生時代はよく作ったよね、ギョロ」

「そーだねー」

 ハカセが口ずさんだレシピは、大学の友だちから教えて貰ったものだ。馬鹿でも分かるお料理行進曲。その順から察するに、明日はペペロンチーニか……勘弁してくれ。こいつ実は俺を追い出す気満々なんじゃないか? メダカに続いてお前まで、畜生。

「ハカセ、魚住さんが泣いてるよ」

「ギョロは〜パスタが死ぬほど好きなんだよ〜」

「ああッ、そうだよッそうさッ三度の飯よりパスタが好きだよッ!!」

 何だこのもどかしさッ! こうなったらやけ食いだ、死ぬ気で食べてやる。いただきますッ!


aspearagusを成長させる方法

 心の中では散々愚痴っていたわりには、きちんと残さず食べ終えた。ていうかやっぱり普通に美味しかった。うん、デザートのメロンも美味しかったよ。いつも世話になっています。自堕落な生活が続いていて大変申し訳ありません。

 そんなこんなで食事の時間が終わり、片づけを終えたハカセはヨシュアに勉強を教えていた。

 俺はどこにでもある名前の聞いたことのない本を読み漁って時間を潰した。

「ギョロ、新しい仕事は見つかったの?」

 夜も遅くなり、ヨシュアが自室に入った後、ハカセが俺に聞いてきた。

どこか懐かしい、そいつは実にハカセらしい口調だった。どこか鋭くて、でも優しい声。

「とりあえずは、な。来週にでもここを出て行くつもりだ。世話になったな」

「そっか、まぁ仕事が見つかって良かったよ」

 ハカセは必要以上に語らない。

「そういえば思い出したんだよ。さっきの話」

「さっきの話?」何だっけ、それ。

「僕とギョロが仲良くなった理由」

ああ、と俺は相槌をうつ。

自分で振っておいて忘れるとは不甲斐ない。

「林間学校のこと、覚えている?」

 その単語を聞いて、俺の中で懐かしい記憶が蘇った。あれは、やっぱりというか当たり前というか、天然トラブルメーカーに散々な目に遭わせられていた輝かしい出来事だった気がする。

「林間学校、なんてなぁ」

俺は思わず吹き出してしまった。ハカセも笑いを堪えながら言った。

「僕たちの地元、もともと田舎だったからね」

「意味ないよなぁ」

「意味ないよね」

 

 

 担任の福田先生は気弱な声で、俺たちの質問に答えてくれた。

「学校行事なんだから、しょうがないの」

 そんな言葉で納得できるほど、中学生は甘くない。抗議の声は止まらない。俺も、メダカも、そして意外なことにあのガリ勉男すらぶつぶつ文句を垂れていた。それで親交が芽生えるほど俺たちは単純……素直じゃなかったが。

 中学一年生の夏。

 俺たちは学校の行事という名目で、羽黒山にある古い寺で二泊三日を過ごすことになった。正直な話、けっこううんざりしていた。だって虫が嫌いで外に出ることの少ない俺ですら、この寺には一年に一度は必ず嫌でも顔を出していたのだ。都会を見学しに行くならまだしも、どうしてこうも地元に固執しなくてはいけないのだろうか。別に世界が滅びるわけでもないのに。そんなことを考えていた。

 バスで約一時間半。俺たちの学年は全員で四十三人。

 それに荷物と先生が加わるだけなので、バスは二台で足りた。大食いの田口や広島がいなかったらバスは一台で済んだのにな、なんて冗談を言って田口がマジ泣きしていたのを思い出す。あれは俺が悪かったよ。

「それは誰がどう考えてもギョロが悪いってば」

あのメダカにさえ言われた。しかも断定。けっこうショックだった。

小学生のメダカと中学生のメダカの違いを述べよ、なんて問題があったらきっと俺は答えられないだろう。身近にいた時間が多かったからのも理由に入るかもしれないが、それを抜きにしてもメダカの成長ぶりのなさは驚きだった。せいぜい挙げるとすれば髪の毛。首の付け根くらいだったのが、肩甲骨部分まで伸びていた。身長は相変わらず小さい。だから整列するときも彼女はいつだって一番前。不動のポジションだった。

「分かってるよ、田口には謝っておくってば」

 そんなメダカに怒られる俺はさぞかし滑稽な存在だったろうに。小学六年生で急に背が伸びた俺の身長は百六十にまで伸びていた。余談だが、後にも先にも俺は田口に謝った記憶がない。だってあいつとは反りが合わないんだものな。

「そんなことよりビスコ食べようぜ、どうせそのバックの中に入ってるだろ?」

「やだよ、あれは私のッ! ギョロには絶対に渡さない!」

「ビスケットなんか食ったって背は伸びないぞ」

 当時のメダカは実に疑うことを知らない奴だった。

「本当に?」

「ホントホント」

「じゃあ、一緒に食べよう」

「食べる食べる」

 十年経っても未だにあいつの身長が百六十に届いていないのはもしかしたら俺のせいなのかもしれない。具体的な確証があっても俺は決して謝る気などないが。

 バスの中であの事故が起きたのは、羽黒山を上っている最中のことであった。事故と言っても衝突事故のような規模の大きいものではない。そんなものと比べればごく些細なトラブル。でも確かに最悪なトラブル。

 つまりは乗り物酔いである。

「ウゥッ……」と、瞬間的に危険が感じる声が聞こえた。

 その声の主は、偶然俺の隣に座っていたガリ勉野郎。ハカセである。

 さっきまで空気みたいに外の景色を見ていたんだ、せめて後数分待てないのか、お前は。

 いつものギンギンした目つきじゃなく、顔色は青いというより白い。それはもう間違いなく、数秒後に吐く……もしかしたら口まできているのかもしれない表情だった。俺はとっさに自分のバックから使えそうなものはないか、探した。着替え、懐中電灯、水筒、おやつ、薬……あった、紙袋。

 念のためにと、玄関先でばっちゃんが入れてくれたものだ。

「せんせっ、新条が気分悪そうだぞ」前の席に座っていた新田が言った。

俺たちの向かい側に座っていたメダカやメージンも気づくが遅い。雰囲気……というか臭いが近くまで漂っていたのだ。

「使え、新条」

 俺が渡した紙袋を、ハカセは無言で手に取った。

 礼を口に出そうものなら、代わりに今日の朝飯が俺の顔に飛び散っていたであろう。

「うぅえぉえおぇ」

 ボトボト、と紙袋に嫌な音と一緒にそれは流れていった。固型とも液体とも考えられるあの忌まわしい音。


ブルーベリーは、かつて彼らが青色に大きくなるのですか?

 それからすごい悪臭。臭くて酸っぱくって、で、不快な気持になれすにはいられない臭い。

 俺はすぐさま窓を開け、臭いが充満しないように気をつけた。それから水筒を取り出し、ハカセに渡した。

「飲めよ」

「……ありがとう」

口を開けば喧嘩の火種を生み出すしか能のなかった俺たちが、初めてまともな会話をした瞬間であった。

そんな男の友情、映画でいう名シーンをぶち壊したのが、向い側のトラブルメーカー。

車酔いに経験のある人なら少しは予想がつくであろう結末だったと思う。

つまり、もらいゲロだ。

「うぇおうぇおぇお……」

「ぎゃぁやぁぁあ!!!!」

 せっかく回避したはずの汚物攻撃を、背中からモロに浴びてしまったのだ。

 どうしてメダカは下向いて吐かなかったのだ。どうしてわざわざ俺たちのほうを向いて吐いたのだ。

 結局、俺たちの列で無事だったのはメージン一人じゃないか、クソ、流石メージン。恐れ多いぜ。

 余談だが、俺は何かまずいことがあると感じていたらしく、その日は朝食を抜いていた。多分、この頃から不幸に対する免疫がついたのだろう。着替えだって二日分多く持ってきていた。不幸中の幸い、なのだろうか、これは?

 まぁ、最悪のケース(それこそ衝突事故とか)にはならずに済んだのは良かったのだが、この出来事を経験した当事者(被害者とも)から言わせてもらえれば、不幸以外の他ならない。その後、俺は神社の湧水を利用して服を洗わなければならなかった。どうして被害者である俺だけが全学級から冷たい目で見られ、笑われなければいけないのであろうか。そんな虐待的行為を受けていても涙を流すことができなかったのは、はたして慣れなのか強さなのか。

 できれば俺は、後者を信じたい。

 

 

「そうだっけ?」

「そうだよッ! 俺の悲しい回想を全否定する気かお前ッ!?」

「僕の性格、もっと明るかったよ〜」

「今さら捏造するなよ、こっちは中学の頃からお前を知ってるんだッ、当事者なめるな!」

「今日は一段と楽しいなぁ。メダカも呼ぶ? 久しぶりに飲まない?」

「話をはぐらかすなよ新条、お前の恥ずかしい話を赤裸々になるまで語ってやるぞ……」

「やれるものなら、望むところさ」

「望むなよッ! 逆に話辛いっての!」

「ギョロだって本当は話したいんだろ?」

「は?」

「僕らが仲良くなった理由……それだけじゃないのにねぇ」

「……ああ。あれのことか」

 まぁ、別に大したことはない。

 中学生らしい、ただの恋話である。

 


 

 他の連中が一体全体どのような中学一年を過ごしたのかについては、俺の知ることではないのだが、少なくとも俺自身のことは知っている。いつも悶々としていて、何か漠然としたことに苛立って、外見に気を配るようになって、それからいつも女の子をジロジロ見ていた気がする。中学生なんて、大体そんなものだ。

 ハカセがこれまたレトロなダイヤル式黒電話でメダカを家に誘っている間、俺はベランダに出て煙草をふかしていた。仕事をしているときは一度も吸ったことがなかったのに、実に三年ぶりの喫煙である。三日前なんか口に咥えただけでむせてしまったのだが、もう慣れたものだ。赤マルだろうがマイセンだろうがセッターだろうがキャロル、バージニア、中南海何でも来いって感じ。ただ、これを吸うたびにコンビニを思い出してしまうので困る。だって煙草が涙で湿気るもんな。

ハカセが電話を切ったのは、三本目の煙草を吸い終えた頃だった。

「残念。メダカは忙しいから、今日は駄目らしいよ」

「そっか。まぁ別に野郎二人でも話せるけどな」

「恥ずかしい話?」

「今さら時効だろうし、いいんじゃないか?」

 そうだね、とハカセは頷く。

「どうせなら、ヨシュアも呼ばない?」

「俺は構わないけど、大丈夫なのかよ」

 もう夜中の一時になる。明日(厳密には今日だ)は日曜日だから、別に朝まで起きていても問題はないのだろう。しかしだからといって俺たち二人だけが理解できる話につき合わせるのもどうかと思う。それにさっきから近所迷惑だろうに。

 ハカセは俺のそんな不安を鼻で笑いやがった。

「たまにはさ、僕の話も聞いてもらいたいんだよ。あの子にもさ」

「自己中め」

 悪態をつきながらも、俺はテーブルを拭き、空いたビール缶を片付ける。

「準備しておくから、さっさと呼んで来いよ」

 基本的に俺はこういう人間なのである。

 他人の意見には逆らえない。というか逆らおうという意思がない。

 

 

 林間学校は何をする時間なのか、中学生の俺には正直言ってさっぱりだった。

 まず理解できない。意味不明。友だちと飯作って、騒いで、山登って、川で泳いで、風呂入って寝て……そんな林間学校的な私生活ばかり送っていたのが原因だろう。ただ、一つだけを除いて。

 それは天体観測だ。たかだか中学生に天体望遠鏡を買えるほどのお金などない。俺だって自転車一台買ってもらうのに何年かかったことか。正直、星を眺めるのにさほどの興味はない。だって夜は眠いし、無駄に虫が多い。それだけのこと。

 俺の友だちで星に興味を持っていたのは、その半数以上が女子だったと思う。というか九割だな。野郎にそんなロマンチストはいない。まぁ、俺が十割と断定していない時点で例外はいたが。


コショウの植物が挟まなければなりません

 林間学校の思い出したくもないトラウマ混じりの一日目が終わり、二日目が始まると、話はすでに夜のことで持ちきりだった。あのメダカですら朝食の納豆を永遠とかき回しながら、呆けた表情でロマンチストに浸っていた。俺は味噌汁を飲みながら、心の中で思ったよ。さっさとバターになっちまえってさ。まぁそんなことはどうでもいい。本当にどうでもいい話だ。

 当時の俺にとっては、とにかく午後の登山をいかに休めるかどうかを考えるだけで精一杯だった。

「今の時期ってさ、どんな星が見えるのかな?」

「お前の頭の上にはいつだってお星様が飛んでいるだろうが」

 くるくるぱーの星な。

何かしらのアクションがあるだろうと身を固めるも、メダカはただ納豆を混ぜているだけ。

「そうだよねぇ」と上の空の返事。

「お前、本当は病気なんじゃね?」

「そうだよねぇ」

「ネバネバうぜぇんだけどさ」

「だよねぇ」

「最近ちょっとだけ、お前がうざいんだけどさ」

「そうだよねぇ」

「……」

 駄目だな、こりゃ。

 俺は先に食事を食べ終え、さっさと男子部屋に戻ることにした。

 寺ってのは造りは好きなんだが、俺にはどうにも馴染めない。

 時代を感じさせる老化した廊下は重々しい重圧を身体に負担させる。何つうか、空気が重い。

 こう背筋をシャンとしていないと誰かに叩かれそうな何かが充満しているんだ、ここ。

 寺とか神社とか、儀式めいているところって好きじゃない。それにこういう場所で深夜に一人でトイレに行く恐怖なんて、マジで半端じゃない。しかもここのトイレは外にあるぼっとん便所だ。あそこに平然と行ける奴がいたのなら、俺はそいつを勇者と呼んで称えてやるよ。

 部屋に戻ると、すでに食事を終えた連中が好き勝手な状態になっていた。トランプで遊ぶ連中、一眠りしている連中、だべっている連中……それから、一人で壁にもたれかかっている奴。バスで俺の隣に座っていた新条こと後のハカセだ。

「よぉ」

「ああ」

 あの事件以来俺たちはそれくらいの言葉は交わせるくらいに仲良くはなっていた。だからといってそれ以上の関係が進展したわけでも、したいわけでもない。だから俺もそれ以上は何も言わずに、ハカセの隣に座る。

 自分のリュックから飴玉を取り出し、口の中に入れた。

なぁ、とハカセの声。

何だよ、と俺は言った。

「昨日の夜、どこ行ってたんだ?」

 一瞬、こいつが何を言っているのかわからず、俺は沈黙してしまった。

「ど、どこにって別に……ただのトイレさ」

「連れしょんかよ、カメラ持って」

「そ、そ、それはあれだよ。心霊写真を撮りにな」

「わざわざ風呂場にまで行くことないのにな」

 ハカセの胸倉を掴んで部屋の隅にまで連行する。

「どこまで知ってるんだ?」

さぁ、と声も表情も冷やかなハカセ。その冷静な対応がむかつく。まるで馬鹿にされているみたいじゃないか。実際、馬鹿にされているのは明確だけど知ったことじゃねぇよ。

「わざわざ心霊写真を撮りに風呂場まで行ってトイレをしに行ったんだな。分かったよ、それだけ聞きたかったんだ」

「俺の質問に答えろ眼鏡ッ! 一体どこまで知っているんだそして何をしたいんだッ!!」

 そりゃ数人の男友だち(同士)を集って女子の風呂場を覗きに行きましたけど、まさか同性に恐喝されるとは考えてなかった。しかもすごくたちの悪い奴に。

「……別に」

「何だ、何が目的なんだッ!」

「いや、だから」

「何なんだよ俺が何か悪いことしたのかッ! 変態は悪いことなのか、変人は悪なのかッ!!」

「ちょっと落ち着けよ」

「確かに俺は頭悪いし人並みだし運の悪さはそれこそ最悪だけどさ、でも人並みの感情はあるんだよ欲情しちゃまずいのか俺みたいのが浴場の異性に欲情しちゃまずいのか?」

「殴られたいのか?」

「すいませんした」

 ちょっと、慌ててしまっていた。ん、慌てた。慌ててしまった……冷静じゃなかった?

「でさ、結局どうなの? 散々罵倒した挙句、先生にちくるのか?」

「そんなことしないっての」

「……」

 いや、ちょっと待て、俺。

 さっきこいつ、自分は関係ないよオーラを発揮しつつも話を逸らさなかった。つまり話を引き延ばしている。まぁ途中から切羽詰まった俺のオンリー・ロンリ―暴走状態だったが。

 ともかくそこまで仲良くない俺に対して、こいつは何かを求めていると判断しても良いのだろうか。

 こいつが自分の利益のため以外に俺に話しかけるなんて考えただけで気持ち悪い。

 男の悩みごとなんて単純なものしかない。将来のことか女のことくらいだ。

 金が目的なのか……いや、こいつは計画性のない俺の財産くらい軽く見当がつくだろう。

 女か?……まさかなぁ。いやでもこういう頑固な奴ほどムッツリだからなぁ。

「まさかとは思うが、俺が撮ったコレクションが欲しいのか?」

「お前のコレクションに欲情するくらいならいっそ便器の底を舐め回したほうがマシだ。それとも何か? お前のその特殊な性癖が一般人のそれと同等だと思っていたのか、それは残念ながらないな。ありえない、全く君の人格を疑わざるをえないよ」

 急に饒舌になりやがった。この野郎……。

 というかその発言はあれか、お前は俺のコレクションを見たことのあるのか? だったら死ね、五回くらい無残に死ね。

「そうか。じゃ、とりあえず一口二百円な」

 ためしに釣ってみた。

「…………」

 黙りやがった。

「そうだな……」

 考えてやがった。


「全部二枚ずつもらおうか」

 とんだエセエロ紳士だった。

 そこから得意の交渉を駆使して、使用済みのフィルムを三千円で売ってやることに。

 どうせ中身は湯気と岩場と竹林しか写っていない。濡れ場も酒地ならぬ肉林の片隅もない。

 こういう馬鹿がいると失敗しても助かる、もうけもうけ。えへへ。

「お前、何なら今夜辺り忍び込んでみるか?」

「どこへ?」

「楽園」

「望むところさ」

 これまでに見たことのない、すごく満面の笑みだった。さすがは優等生だ。

 常に新しい知識の発見を求めているらしい。ならば後でじっくり教えてやろう。小学五年生から密かに盗撮行為を繰り返していた変態の伝道師が、いついかなるときも油断はできないということを。

 思えばこのときから俺のひねくれ度はさらに磨きがかっていたと思う。陥れる気満々だったからだ。

「ところでお前さ、天体観測ってやったことある?」

 俺は今夜の獲物が感づかれぬよう、話を変えた。

「天体観測か、けっこうあるけど」

「うそぉ?」

「父が趣味で持っているんだ、天体望遠鏡。よく見せてもらった」

「良い親父だな。俺はエロ本雑誌なら見せてもらったことがあるけど」

「良い父じゃないか」

「ただの変態親父だぜ」

 あははは、と二人して笑った。馬鹿みたいに笑った。

 このときはまだ、ハカセの家庭事情なんて知らなかったから無邪気に笑えていた。

仕方ないことだ。

だって俺たちはまだ、ただの子どもだったのだから。

 

 

 二日目のメインイベントらしい天体観測は、これまたバスで移動して山奥にある天文台へと向かった。

 星座の博物館もやっているはずなのに見るものがない、寂しい場所だった。さすがにそれでも申し訳程度の天体望遠鏡はあるようで、すぐさま取り合いになって先生がヒステリックな声を上げて、もうやってらんなくて俺はメダカとハカセ、それからメージンを連れて外に出た。

 わざわざあんなの使わなくても、星はいつだって空にある。

 それに今夜は特別講師つき。

 ハカセがハカセになったのは、その日からだった。

命名はメダカ。理由は無駄に星に詳しかったから、以上。

「あれは何?」

「おとめ座だね。あの輝いてるのがスピカ」

「へぇー、じゃああれは?」

「レグルス。しし座だね」

「すげぇー、星のハカセじゃん! ハカセ、ハカセッ!」

 こんな感じに、けっこうあっさり決まった。

 ちなみに熱中している二人(と言っても一方は冷めてるが)に俺が口を挿んだのはただの一度きりである。

 メダカの「あれは?」に対して「月だ」と突っ込んだくらいだ。そのあと、「ムード壊したー」とか言われた。

 他にどんな突っ込みが必要なのであろうか。突っ込みに詳しい人がいたら教えてもたいたくらいだ。頼りのメージンなんかは眠そうに明後日の方向を見ていた。

 上を見ろ、上を。何しに来たんだよ、お前は。とろけてるんじゃねぇよ、瞼。最近たるんでるぞ、マジで。

「こうして夜空を見ているとさ、銀河鉄道の夜の主人公になったって感じだよな。何だっけ、あいつの名前、主人公。ジョバンニだっけ、カンパネルラだっけ?」俺は言った。

「宮沢じゃないの?」

「メダカは学がねぇな。たく、理系は。そりゃ作者だろうに」

「ジョバンニ。カンパネルラは友だちだ」といつもの仏頂面よりいくらかましな顔で、ハカセは言った。

「おっとそうだった。さすがはハカセ」

「ギョロは学がねぇな。たく、文系は。すぐにものごと忘れてかなわんよ」

「忘れやすいのは文系も理系も関係ねぇだろうがッ!」

 あははは、と皆して笑った。俺だけ怒っていたけど、後でちゃんと笑った。

「夜空の下ってさ、何だかロマンチックだよね」とメダカが言う。

「そうかぁ、だったら世界はいつだってロマンチックだな」

 皮肉のつもりで言ってやったが、時期が悪かったのだろう。メダカは嬉しそうに笑った。

「だよねぇ、ロマンチックだよね」

「え、ああ、そうだな」思わず肯定してしまう。

「でも、あの夜空の向こうって空虚だよな」ハカセが言った。「大気圏の向こうは暗くて、寒くて、何もない」

「でもロマンはあるだろうに」

宇宙開拓は男のロマンだ、と付け足そうとして言葉に迷う。別に男の、ではない。全人類、とでも言った方が良かったか?

「男、外を見て内を見ず。女、内を見て外を見ず」

 欠伸をしたメージンが、いきなり結論まとめに入っていた。それもある意味真理だろうがな。

 俺はハカセの肩に腕を乗せ、メダカと距離を保つ。きょとんとしているメダカをよそに、俺は変態紳士に言ってやったさ。

「さて、そろそろお待ちかねのロマンの時間だ。男だって見るときゃ見るよな」

「当然だとも」

 ここに盟友が一人誕生した瞬間であった。

 


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